学生も、社会人も、教壇を離れた人も──怠けているのではありません。整理する時間が来ているだけです。
やりたいことがわからないのは、怠けているからではありません
進路を決めるとき、やりたいことより「失敗しない道」を選んだ。
仕事では、自分の気持ちより「役割をこなすこと」を優先してきた。
教壇を離れた日、次に何をすべきか、急にわからなくなった。
そういう経験が、一つでも当てはまりますか。
「やりたいことがない」のではありません
やりたいことがわからない、と感じるとき、多くの人はこう思います。
「自分には熱中できるものがないのかもしれない」
「もっと行動力があればよかった」
「考えすぎなのかもしれない」
でも、実際はそうではありません。
やりたいことが見えないのは、意欲が弱いからではありません。
自分の中でいろいろなものが混ざっているから、輪郭が見えなくなっているのです。
好きなこと。
向いていそうなこと。
人から求められる役割。
失敗したくない気持ち。
生活の条件。
これまで頑張ってきた道を無駄にしたくない気持ち。
これだけのものが重なれば、自分でも「何に引っかかっているのか」が読めなくなるのは当然です。
「混ざっている」とはどういう状態か
やりたいことがわからない、と言っているとき、本当に何もないとは限りません。
実際には、こういう状態が混ざっています。
- やりたい気持ちはあるが、まだ言葉になっていない
- 興味はあるが、現実とどうつながるかが見えない
- 向いていそうだが、自分のものとして納得できていない
- これまでの役割から離れる怖さが強く、自分の願いの輪郭が見えにくくなっている
さらに、こういうパターンもあります。
やりたいことはなんとなくわかっている。
でも、なぜそれがやりたいのかがわからない。
最終的にどこへ向かえばいいかがわからない。
誰のためにやるのかがわからない。
これも「やりたいことがわからない」の一つです。
言葉にならないまま止まっている状態です。
また、やりたいことには強弱があります。
絶対にやりたいこともあれば、なんとなくやりたいこともある。
やってみてもいい、という程度のものもある。
その強弱が混ざったまま整理されていないと、どれが自分の本当の声なのかが見えなくなります。
なぜ、きちんとやってきた人ほど混ざりやすいのか
学生なら、評価される進路、失敗しにくい進路、周囲が安心する進路を優先してきたかもしれません。
社会人なら、組織の中で役割を果たすこと、生活を維持すること、周囲に迷惑をかけないことを優先してきたかもしれません。
教育に関わってきた人なら、支えること、整えること、教えること──他者と場のために動き続けてきたぶん、自分自身の方向は後回しになりやすかったはずです。
与えられた役割はこなせる。
必要なふるまいもわかる。
場に合わせることもできる。
けれど、「自分は本当はどこへ向かいたいのか」となると、急にわからなくなる。
これは珍しいことではありません。
人のためだけに動き続けてきた時間が長いほど、自分の内側の声は小さく、遠くなっていきます。
「不安」と「やりたいこと」が混ざるとき
もう一つ、見落とされやすいことがあります。
疲れているとき、心が折れているとき、人は「やりたいことを考える余裕」そのものを失います。
先のことを考えようとしても不安になる。
何か浮かんでも、どうせ無理だと思って止めてしまう。
そうして、自分の中の小さな反応まで拾えなくなっていきます。
この状態のとき、外から
「やりたいことを見つけなさい」
「もっと本気になりなさい」
と言われても、動けません。
それは意欲の問題ではなく、まだ内側が整っていないからです。
だから、転職するか、進学するか、退職するか──大きな選択を急いで決めようとしても、その前の整理ができていないと、決めたあともずれやすくなります。
まず必要なのは、気合いで押し切ることではありません。
何が起きているのかを、ひとつずつ見ていくことです。
そのための順番が、次にあります。
