「どうして私は、アイドルになれなかったんだろう」
そんな一言が、私の胸をふと締めつけました。
北朝鮮という抑圧された環境で生まれ育ち、
“おかしさ”を感じることすら許されなかった少女が、
自由を求めて命をかけて脱出した。
でも彼女は、こう語っていました。
「本当にアイドルになりたかったのか、今もまだわからないんです」
その迷いすらも、まっすぐで静かなものに見えました。
“問い”は、いつも明確な夢から生まれるとは限りません。
「なぜかわからないけれど、胸が痛む」
そんな揺らぎから始まる問いもあるのだと思いました。
脱北から始まった、問いの旅
この記事は、TBS NEWS DIGが報じたものでした。

北朝鮮から脱出し、現在は韓国に住む女性が、
「なぜ自分はアイドルになれなかったのか」を語ったインタビューでした。
彼女は北朝鮮で、国のプロパガンダ教育を受けて育ちました。
外の世界については何も知らされず、
思考や夢の自由を持つことができなかったそうです。
それでも彼女は、あるとき“ズレ”に気づいたのだと思います。
「なぜ私は、この夢を語ることすらできないのだろう」
「なぜ、この気持ちは“間違っている”とされるのだろう」
そう感じた彼女は、脱北を決意し、命懸けで国を出ました。
その後、韓国で新たな生活を始めた彼女は、
「本当にアイドルになりたいのかは、今もまだわからない」
と語っていました。
問いは、今も彼女の中で生き続けているようでした。
問いは「ズレ」の自覚から始まる
彼女の語った言葉から、私はひとつの現実を感じました。
問いは、“わからないままの感情”からも芽生えるのだということです。
彼女は、自分の夢に確信を持っていたわけではありません。
でも、「夢を語ることすらできない」という違和感は、
深いところで確かに彼女を揺さぶっていたのだと思います。
この“ズレの揺れ”こそが、問いの起点なのかもしれません。
私自身も、かつて教員という枠の中で、
問いを持てずにいた時期がありました。
「このままでいいのだろうか」
「何かが違う気がする」
うまく言葉にはできなかったけれど、
そんなモヤモヤこそが問いの芽だったのだと思います。
問いは、夢や目標からだけでなく、
抑圧された環境の中で感じた“ズレ”からも生まれる。
そして、たとえその問いがまだはっきりしなくても、
人はその問いに導かれて少しずつ動き出すことがある。
そういうことを、この話は残している気がしました。
