「“好き”がわからない」
そういう時期はあるのだと思います。
子育てにひと区切りついたけれど、これから何をしよう。
ふと自分のことを考える時間ができたけれど、何に興味があるのかよくわからない。
何か始めたいけれど、何が好きだったのかも思い出せない。
そんなときに、ある人が言っていた言葉があります。
「本屋さんに行ってみて。“好き”はそこにあるから。」
本屋を歩くと、背表紙が止めてくることがある
本屋に行って、ぶらぶらと歩いてみる。
買う目的がなくてもいい。
背表紙をひとつずつ見ていくうちに、
ふっと手が止まる瞬間があります。
「なんとなく気になる」
「ちょっと読んでみたいかも」
その反応は、
まだ言葉になっていない“好き”の入口なのかもしれません。
思いがけない「好き」に出会うこともある
もともとは小説ばかり読んでいたのに、
このやり方をしていると、
経営の本や写真の撮り方の本に自然と手が伸びることがある。
「あれ、こういうことに興味があったのかもしれない」
そんなふうに、
言葉になっていなかった好奇心が少し形になることがあります。
忘れていた自分に触れるために
「新しいことを始めよう」と思うと、
大きな一歩を踏み出さなければいけないように感じることがあります。
でも、本屋を歩くだけなら、
そこまで重くなくてもできる。
今の自分が何に反応するのかを見る。
そのくらいの小さな動きでも、
興味の芽に触れるきっかけになることがあります。
当時は、
“好き”は頭の中で考えて見つけるものというより、
反応したものをあとから拾っていくものなのかもしれない、
そんなふうに考えていました。
