先が見えない場所で
「もう限界かもしれない──」
その言葉が口から出るまでに、
心も身体も、静かに削られていくことがあります。
ある記事を読みました。
幻冬舎ゴールドオンライン
「もう限界…〈年収900万円〉44歳の小学校教師、夜20時の電話連絡に『転職を決断』も、絶望すら感じた『面接官のひと言』」

44歳、小学校教師、年収900万円。
世間的には「安定している人」に見えるかもしれません。
でも、その方は夜20時の保護者対応をきっかけに、転職を決断したと書かれていました。
私は、その一文に胸が詰まりました。
他人事とは思えなかったからです。
というより、
あれは昔の私自身でもありました。
収入があっても、壊れる時は壊れる
私が教員を辞めたのは、31歳のときでした。
9年間現場で働き、経験も積み、年収は700万円。
世間から見れば、安定していたと思います。
それでも私は、あの仕事を手放さざるを得ませんでした。
授業、保護者対応、部活動、生徒指導、会議、事務、行事。
そして、その間にこぼれ落ちる感情のフォロー。
どこまでが業務で、どこからが情熱なのか。
その線引きは、少しずつ曖昧になっていきました。
最初のうちは、
「がんばっている実感」が支えになっていました。
でも、いつの間にか、
がんばらないと回らない日々に変わっていたのです。
「私がいなければ回らない」
そんな思い込みの中で、
自分をすり減らしていたのだと思います。
高い年収があることと、壊れないことは、別です。
収入があっても、誇りがあっても、
身体と心が限界を超えれば、続けられなくなります。
転職は、救いにもなる。けれど、それだけではない
記事の中の先生が転職を決断した気持ちは、痛いほど分かります。
でも同時に、私は別のことも思いました。
もし当時の私が、「転職後の現実」をもっと知っていたら、 違う選び方をしたかもしれない。
私は転職活動を始めたとき、
一般企業から提示された初任給を見て、目の前が真っ白になりました。
当時の年収は700万円。
それに対して提示されたのは、400万円。
約300万円のダウンでした。
自分が積み重ねてきた経験は、何も評価されないのだと感じました。
「先生」という肩書きは、
民間企業にとっては“異世界の人”のように映るのだと知りました。
それでも、あのときは辞めるしかありませんでした。
仕事への思いは残っていても、
それを支える身体と精神が、もう壊れていたからです。
だから私は、
転職を軽く勧めたいわけではありません。
でも、我慢を美化したいわけでもありません。
どちらにも現実がある。
そのことを、もう少し手前の段階で知っておけたらよかったと思うのです。
“限界”には、段階がある
記事の中の44歳の先生は、
おそらく限界のかなり深いところまで来ていたのだと思います。
夜20時の電話、帰宅は22時過ぎ。
制度の話と、現場の実感がずれている空気もあったのでしょう。
でも、本当は、限界はある日突然やってくるものではありません。
そこに至るまでには、たいてい段階があります。
- ちょっと変だなと思う
- 前より眠れない
- やる気が空回りする
- 小さなことに反応しすぎる
- 休んでも戻らない
そういう小さなサインが、静かに積み重なっていきます。
だからこそ、辞める直前ではなく、
もう少し手前で立ち止まることが大事なのだと思います。
業務量がつらいのか。
人間関係がつらいのか。
裁量のなさが苦しいのか。
期待される役割が重すぎるのか。
そこが言葉になれば、
「辞める」以外の選択肢が見えてくることがあります。
“辞める”か“我慢する”か、その二択を越えるために
私自身、辞めたことを後悔しているわけではありません。
でも、こうも思っています。
もう少し早く、「第三の選択肢」があると知っていたら。
辞めるか、我慢するか。
その二択だけで考え続けると、人は追い詰められます。
けれど本当は、その手前に
- 配置や役割の見直し
- 抱えすぎている業務の整理
- 自分の限界の言語化
- 誰かと一緒に現状を見直すこと
のような、小さな調整の道があるかもしれません。
それは派手な解決ではありません。
でも、今の場所で自分の灯りを守る方法としては、とても重要です。
教員という仕事は、特別扱いされるべき仕事ではないと思います。
ただ、人の人生に影響を与える仕事である以上、
その人自身の人生まで削って続ける形であってはいけないとも思います。
おわりに
もし今、
「もう限界かもしれない」
そう感じているなら、すぐに辞める必要はありません。
でも、限界が近いことを、ひとりで曖昧にしたままにしないでほしいのです。
「つらい」という感覚は、
自分を責める材料ではありません。
自分を守るためのサインです。
だからまずは、
何がつらいのか。
どこで無理が起きているのか。
何を守りたいのか。
そこを、誰かと一緒に見つめてみてください。
そうやって少し立ち止まった先に、
辞めるしかない未来ではなく、
辞めなくても守れる未来が見えてくることもあります。
私は、その可能性を信じています。
