戻れなかった。でも、問いは残った。
凍りかけていた心の奥に、小さな芽があった。
それに気づくまで、私はとても長い時間をかけました。
灯りが見えない場所で
私はかつて、中学校の教員として働いていました。
日々、生徒と向き合い、研究業績を重ねて発表もしていました。
でも、いつしか「自分ではない自分」を演じている感覚が強くなっていきました。
ある日、職員会議で研究発表をしたときのこと。
成果はあったはずなのに、拍手も、承認の言葉もなかった。
その瞬間、「ああ、自分はここにいなくてもいいのかもしれない」と思ってしまったのです。
それが、今でも覚えている「心が折れた日」でした。
「支援」が支援に感じられなかった時
うつ状態で休職中だった頃、当時の校長先生とスターバックスで話をしたことがあります。
今後のキャリアについて相談したのですが──
返ってきたのは、「続けるか、やめるか」という極端な選択肢だけ。
校長先生を責めているわけではありません。
専門家ではないので当然です。
でも、「誰にも相談できる場所がなかった」というやるせなさは、今でも胸の奥に残っています。
凍った「問いの芽」に、ようやく出会えた
結局私は、復職ではなく退職を選びました。
その後しばらく、心の中に霧がかかったような日々が続きました。
少しずつ落ち着いてから、「自分と対話する本」を手に取ってみました。
何ヶ月もかけてページをめくり、ノートに言葉を綴りながら──
ようやく気づいたのです。
「あのとき、私は何に傷ついたのか」
その“問いの芽”の、ほんの小さなきっかけに触れることができました。
でもそれは、「自分ひとりで見つけるもの」ではなかったのです。
社会的背景──なぜ「回復」はうまくいかないのか
厚生労働省の調査によれば、うつ病などの精神疾患で休職した人の約60%が再発を経験しています。
これは、「ただ休めばいい」「通院すれば治る」という従来の支援が、根本的な問いに届いていないことを示しているのかもしれません。
「問いの芽」が凍るとき
私はひとつの仮説にたどり着きました。
“問いの芽”の支援とは、「正しい答え」を与えることではない。
むしろ、問いの温度が保たれるように、「構造」と「関係性」を設計しつづけることだ。
回復とは、ただ元に戻ることではない。
問いとともに進む新しい生き方を、自分の手で少しずつ耕していくこと。
でも、その問いが凍ってしまう瞬間があります。
誰にも話せず、言葉にもならず、ただ冷たく沈んでいく──
そんなとき必要なのは、「答えを与えてくれる人」ではなく、
「問いのままで、そっと隣にいてくれる人」だったのです。
本当に必要なのは、「あたたかく問いを保てる関係性」
問いの芽を育てるには、いくつかの条件が必要です。
家族にすべてを託すのは酷な場合もあります。
カウンセリングは効果的でも、金銭面や継続性に課題があります。
ではどうすればいいのか。
私は、セルフケアで自分の言葉を持ちながら、
ときどき信頼できる誰かに、静かに問いを聞いてもらう。
そんな「小さな関係性の場」があってもいいんじゃないかと思っています。
それが、私にとっては「問いを凍らせずに済んだ理由」でした。
このような「問いの灯り」に出会えず、
回復が「復職」の一点突破になってしまう社会の中で、
もし、あの日の私と同じように「問いが凍ってしまった人」がいたら──
まずは、その問いが消えていないことだけでも、
どこかに残しておいてよいのだと思います。
