信頼のトリセツ|信頼することは、すぐにはできなくていい

「信頼する」という感情には、2つの方向がある。
私はそう考えていました。

ひとつは、誰かを受け入れるための「容認」。
もうひとつは、自分を受け入れるための「許容」。

誰かを「容認する」ということ

たとえば、誰かの言動が理解できなかったり、
許せなかったりするとき。

それでも時間が経ち、自分の経験が増えると、

「あの人、ああいう背景があったのかもしれない」
「そういうとき、自分も似たような反応をするかもしれない」

そんなふうに、少しずつ他者への理解の余白が生まれていくことがあります。

さらに、その人の行動パターンが少しずつ見えてきて、
ある程度予測できるようになってきたとき、
それは「容認」から「信頼」に近づいていく。

信頼とは、
「この人はきっとこういう反応をするだろう」
「この人はこういう形では裏切らないだろう」
と感じられる安心感なのかもしれません。

自分を「許容する」ということ

もうひとつの信頼は、自分に対する許容です。

たとえば、
ダイエット中だけど、あのタピオカミルクティーがどうしても飲みたい。
そんなとき、

「飲んだらダイエットが台無しになる」
「でも、今この瞬間の満足もほしい」

このふたつの自分が、心の中でぶつかります。

ここで、たとえばこう思えたらどうか。

「無糖にすれば、少し罪悪感が減るかもしれない」

これは、計算する自分と、欲する自分のあいだで出した妥協案です。

私は、こうやって自分を許容する力を身につけるまでに、
かなり長い時間がかかりました。

そして気づいたのは、
自分を許容するには、
時間と、新しい案と、心の成熟が必要だということでした。

信頼 × 望み = 生きる喜び

当時の私は、
「信頼する」という感情を、
いちばん難しくて、でも、いちばん頼りにしたい感情として見ていました。

自分の「こうありたい」という望みと、
「きっと大丈夫」という感覚を、
両方とも持ち続けられたなら、
日々の生きやすさは少し変わるのかもしれない。

そんなことを考えていた記録です。

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